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何を見据え、どこへ向かっていくのか。テクノロジーの力を信じて、俯瞰しつつ道なき道を進みます。

けてぶれ・葛原先生の言うことって、、、& 雑記

先日、大学の同期とzoomで真面目な話、たわいもない話など、3時間くらい話しました。

 

その中で葛原先生が提唱するけてぶれの話とnks集団思考法について話してましたが、

 

 

nks集団思考法って、いわゆる「普通の授業」でやってなかったっけ?

 

と思いました。Twitterにあった本人投稿の図を見ただけだし、葛原先生の著書を買おうと思って買っていないので認識が違っていたらすみません。

やれアクティブラーニングだゆとりだとか、詰め込みだなんだと時代や教育の流れに揉みに揉まれた挙句、ぐっちゃぐちゃになった教育界にもう一度葛原先生が再定義しているのかなって思いました。

 

タイトルにある、葛原先生の言うことって、、、いわゆる「ルネサンス(文芸復興)」と似たものかなあと。

『学び合い』でもそうですが、『学び合い』でやっていることや大切にしていることって、優れた先生は既にやっているそうです。

全員の本は読んでないですが、きっと大村はま斎藤喜博、野口芳宏、向山洋一といった優れた教師はやっていて、それらが上手く下の世代に引き継いでいけなかった現状があるのかなと思います。

一つ言っておくと向山洋一のTOSSは正直好いてませんが、根本の部分は共通しているよう思います。

 

ただ、不易流行という言葉があるようにICTやプログラミング学習といったものが今現在あり、不易と流行を混ぜ合わせないといけなくて、それが今を生きる教員の仕事かなあと思いました。

 

てことで、自分は自分が目指す方向に学んでいきます。

 

最後に雑記ですが、キラキラ系の先生は自分で名前つけがちと同期が批判してました。笑

まあ、名前をつけるのはいいし、名前があるとモノが明確化されて広まりやすいかなと思うんですが、やっぱり「目的」を忘れてはいけないなあと思います。

発信者には絶対に軸があるんですよ。それが広まって、主に末端?の何も考えず飛びつく層がやると崩れたり、批判されたりすると思います。

 

例えば、自分は常勤講師ですが、ここで「積極的講師です!」と言ったところで所詮、常勤講師は常勤講師なんですよ。

積極的講師って言うなら、「なぜ正規採用ではなく、講師を選んだのか?」という問いに答えられないといけないと思います。

正規採用されないからって、積極的講師って言って正当化してないかなとかね。

 

「新しいこと」の、けてぶれにせよ「古いこと」の授業や学校行事にせよ、目的や願い、こういう姿にしたいという思いを明確にして、それぞれ実装していかないといけませんね。

 

じゃないと、すぐに腐る。

 

あ、堀先生のこのツイート引用します。

https://twitter.com/kotonoha1966/status/1164482667347267584?s=21

 

3番ですが、無駄と分かっていても自分でゴール作ってやらないといけないのかなあと感じています。

 

まだ書かないといけない記事たくさんあるんですけどね。笑

とりあえず今日は自分の思いをツラツラと書き連ねました。