「子どものため」という人は信用できない
かなりトゲトゲしたタイトルです。
が、タイトルは自分が思っていることです。
「子どものため」と言っておけば、何でも子どものためを思ってやっている感でるからいいよね!
「子どものため」というワードは優先順位を付けずにやれる魔法のコトバだと思います。そして、目的をもっている風をアピールできます。
そういう方は、正直信用できません。思考停止して、自分は子どもたちのためにやってます感出して、小手先の技術でやっているように見えます。
これからの時代、特にコロナショックで何もできない「公立義務教育学校」ということが露わになったところで、もう一度「子どものため」を考え直す必要があると思います。
そのために、「目的+身につけたい力(コンピテンシー)」ベースで考えていかなければならないと思います。
そもそも、学校とは「子どものため」にあるものじゃないでしょうか?その上で、「こんな力をつけたい、こんなことができるようになってほしい」ってあるはずだと思うのですが。
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運動会って、何のためにやるの?
過去いた学校では、週の半分の時間以上(15時/30時)を使って練習に使いました。
その中には、2回も開閉会式の練習や何度もリレーの練習を行います。運動が好きな子はいいかもしれませんが、そこまで運動が好きではない子にとっては苦痛でしかありません。
なぜやるのか、誰も答えられません。反省になぜこんなにも練習するのか書いても「子どもに恥をかかせてはいけない。たくさん練習してちゃんとできないといけない。」とあって愕然としました。
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心の声が漏れすぎたようですね。
今日はここまで。