「あの頃の学校」と「これからの学校」
ゴールデンウィークが開けました。
某青い鳥でやりとりした方のアドバイスを受けて、ゴールデンウィークにいろいろと勉強してみようと思っていたらいつの間にか終わっていました。
てへ。
まあ、それは置いておいて結局、学校は「あの頃の学校」に回帰しそうですね。
テクノロジーを活用しないといけないこの現状において、社会では印鑑廃止・テレワークなど、人が動けないという状況を鑑みて社会は変容しています。
在宅勤務を阻む「ハンコ問題」、激論の舞台裏 デジタル化を突き付けられた日本の課題 | コロナショック、企業の針路 - 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/346741 #東洋経済オンライン
一方で学校はどうか?
いつまでも今までのやり方に囚われて紙・電話の対応です。電話の対応ってタイミングつかめなかったら連絡つかないじゃないですか。
それが不便だから、メール・LINEなどのコミュニケーションツールがあるわけで、そういったものを学校に入れようとしない理由が分かりません。
仏教における「諦念」の心が必要なのかもしれませんね。
そういった人たちは置いておいて、僕はこれからたとえ一人になろうとも「これからの学校」の在り方や学びを探っていこうと思います。
休校が開けたとしても、学級の全員がそろうことは保証できないと思います。僕らもですが、見えない敵へのリスクを非常に恐れています。当然です。連日連夜、報道されていたらそうなります。
となると、既存の価値観では登校してこない(できない)子に対して対応できないと思います。
これからの「withコロナ」の時代に「あの頃の学校」の価値観ではやれないだろうと思います。
「これからの学校」の在り方を模索していかなければならないと思います。
僕は今までのままでいるつもりはないし、次の時代を創るために動きたいのでそのために動けるようにしておきたいと思います。
Google SpreadSheetで簡単に自分なりにまとめてみました。アナログなもの、今までのものが廃れるわけではないけれど、これからはテクノロジーもかけあわせていかな蹴ればならないと思います。 休校解除の知らせが出始めました。 休校が明けても、来る子と来ない子は当然いるだろうと思います。大きなリスクを負ってまで登校する必要はないと思います。学びと命なら当然、命を重視します。 進めていくのが、縛りすぎず離しすぎずの関係かなと。 家庭の状況もあると思うので、授業の様子が録画できならなお良しですが、できるかな? とりあえずこんなところで。
その中で、学校に来た子と来られない子の両方向へのサポートはどのような形で提供できるでしょう?
現実可能性が高いのは、やはりオンライン
10分は同期環境
残りは個別で
新しい価値、作ってなくない?
最近、仲のいい先輩が某情報商材屋さんに釣られているのを見て悲しくなりました。
今回書くことは、おそらく初めてブログの趣旨に合ったものを書くような気がしていますが、某青い鳥SNSにて中学生が月収7桁を達成したそう。
それで天狗になってるようです。
別にそれは構わないんですよ。
が、引っかかるのは「これが最先端の生き方!この『価値』を生み出すのは最高!」みたいなことです。
価値は生み出したかもだけど、何も創造していないよなあと。
既存のシステムの中で、周りより突出している。既存のシステムの消費者でしかなく、価値は生み出したかもしれないが、次のシステムは作っていない。
同時期に中国の中学生が新しいシステムを作ったらしい。青い鳥の情報なので不確かだが、一方は消費して価値を生み出し、もういっぽは確かに創造して価値を生み出している。
情報商材(笑)を売って、新しい価値を生み出しているとか、寒いよなあ。
新しい価値をつくることを学校教育でもサポートできるように、子どもを制限をするようなことはしたくない。例えば、○年生だから○年生までの漢字しか使ってはいけない!とかね。
半分愚痴のような形でしたが。
復調の兆し
二月も、更新ができず溜まってました。更新を待ってくださっていた方々、申し訳ありません。
この二月、あまり体調が優れず、ギリギリの中で生活しておりました。
さて、今回のコロナウイルスの一件があり、残念ながら愛知県も県内一斉休校の措置を取りました。
休校取りやめの自治体もありますが、愛知県は刻一刻と感染された方が増えているので、休校は致し方ないのかなあと思います。
さて、ウイルス感染予防はまあ分かるとして、ティッシュやインスタント食品、冷凍食品が品薄になる地域が多々あるようで。
何かのネット記事で見ましたが、買い占めを行う人は本当の「情弱」と言われる情報弱者ではなく、アンテナは高い方である。が、リテラシーまで高くないからデマに踊らされるという記事がありました。
アンテナが高いことは悪いことじゃないんですけどね。リテラシーが伴わないと、ただの暴走でしかないのかなあと思います。
最近の愛読書です。↓
ソーシャルメディア論・改訂版 つながりを再設計する
自分の興味関心のドストレート真ん中な本です。
まだ、序盤しか読めてませんが、楽しく読んでいます。途中に、我々読者に問うてくるのが、読み手が受けてのまま終わらせないあたり、いいなと思っています。
また、書籍のレポートができればなあと思っています。
今日はこのへんで。
学校の「在り方」①
ふとね、こんなことを思いました。
今年(昨年?)実は喪中でして、喪中のはがきを何枚か刷りました。
そして、計算ミスで少々余らせてしまいまして。。
そういえば、学校で書き損じはがきの回収をやっていたなあということを思い出しました。
それって、学校の仕事なのか?
はがきを販売しているのは学校ではなく、郵便局。
郵便局では、書き損じはがきを手数料を支払った上で通常のはがきに交換してくれるようですね。
書き損じはがきの回収や、ベルマーク運動、ペットボトルキャップの回収など、いつ頃から何故始まったのでしょうか?
それらがいい事・悪い事とか言うのではなく、どうしてそれらを集める役割を学校が引き受けたのでしょうか?という問いです。
となると、学校はどんな業務を行うべきなのでしょうか?
教科教育、生活教育、成績処理、学級事務、学校行事、専門的教育、清掃・美化活動および維持管理、地域との連携、など学校が持つ業務を外部リソースに頼りながらシステムや組織を回していけないかなあと思います。
中にいる「人」にこれからも頼れば、これからもお金はかからないでしょう。(給特法も改正はされるけど、"廃止"にはならなかったし、残業代は出ないし)そして、疲弊して崩壊していく。既に崩壊しているっていう声もあるけどね。
ただ、「もの」に頼れば、立て直すチャンスはあるんじゃないかなあと思います。
たとえば、これ↓
ソフトバンクはこんなロボット作ってるらしいですよ。学校までの道のりに段差はあれど、校内はそんなにない(偏見)と思っているので、こういった外部リソースを活用していくのも一つの手かなと思っております。
これが費用的や物理的制約上無理なら、マッピング対応廉価版ル○バ導入など。
図書室の文庫を手書きで管理からこれに↓
無料のサービスで、Amazonの書籍情報とリンクさせて集約するらしいです。
また、各社が販売している校務支援システムなど
公教育は税金をもとに成り立っているので、なかなかそういった外部リソースに振ってお金を使ったり、使うことで地域に税金が落ちるとは限らなかったりしますが、外の力を借りつつ環境を改善できるといいなと思います。
少し、話が逸れたように思いますが、外部リソースを用いつつ「在る」ものを適正化していければと思っておりまする。
2019.12.26 改めまして、教材研究です!
つっちーさん、くろさん、来年のメリロ行きましょう
今回のレポートは「改めまして、教材研究です!」。
南山附小の山本先生主催「なごやか」のスピンオフ?ですかね。
話をお聞きしながら、自分の学校観や教育観を改めて問い直す機会になりました。
まあ、いつも考え続けている内容だけどね。
ちょっと前にTwitterで
「授業の半分で教えて、残りで演習している。塾やん。。」(意訳)
分からないこともないけど、学校で知識伝達を行っている以上習得させないといけないと思うので、毎回これだとどうかなあと思いますが「今の教育」をやる以上、悪とは言えないかなあと思います。
ちょっと話はそれましたが、自分の教育観って「自分で自分をゲートキーピング(調整)できる」ことにあるのかなと思います。
学びに関して、自分は読みきれもしないうちに新しく本買ったり、学んだことを噛み砕き切る前にいろんな教育イベント行ったり。。それじゃゲートキーピングできていないですね。笑
学ぶカテゴリは各々で構わないので、自分の学びたい分野を見つけ、追究できること。
そして、人として「自立」できること。
今の「自立」の解釈は『人と折り合いをつけながら、お互いの自由を尊重する』。
こういう考え方だから、『学び合い』の考え方やファシリテートする方向性にマッチするのかなあと思います。
自分が持っている思いを授業に乗せるために今回この研究会に参加できて良かったと思います。
つっちーさん
「授業における魅力的な(主体性を発揮する)発問は教員が言うべきものなのか?」という問いから考えられた教材研究の在り方や授業スタイル。
葛原先生が唱える「NKS」をベースの活動。
それを支える教材研究では、子どもから出てくるであろう対立や葛藤を見つける、その視点をもとに授業でアドバイスをする。
帝京大可児小 松本先生
ミクロ視点で学習エンジンをかける。
「習熟が探究を生む」ために、練習を「テストしよう」に言葉を変える。
問題を解く量を子供たちに選択させて自ら作り上げる環境を作る。
→話を聞きながら、自由選択の必要性とともに量的保障をしないといけないので、そこのバランスを教員が調整したい部分である。
三重県 くろ先生
教科書は意味理解(「わかる」ようにすること)をしてから、練習問題を進めて「できる」ようにしている。
くろ先生は、逆転の発想で「できる」ようにしてから、「わかる」ようにする。
できるようにはなるけど、やりながら「どうして、こうなるの?」と問いが自然発生する。
→すべてにおいてこの内容が適用できるわけではないだろう。だからこその「教材研究」なんだろうなと思う。
南山大附小 山本先生
筑波大学附属小 二瓶弘行先生の「自力読み」をベースにした国語科の授業。
教科書を客観的に場面分けをしたり、あらすじをまとめたりした後でクライマックスの場面での変容を捉える3つの大きな問いを立てて物語の内容を深めていく。
今秋、自分は東京書籍の「サーカスのライオン」で、京都大学・松下佳代先生が提唱される「三角ロジック」を用いた心情の理解について実践を行い、割と自分の中ではよかったなあと思いながら、こちらはもっと「ドライ」で、汎用性があるように思いました。
いいなあ、「自力読み」
南山大附小 プロフェッサー天野先生
とにかくロジックが攻めてきた!!という感じ。
次期学習指導要領改訂は思考の流れを重視した改訂であること、それが「生きて働く個別の知識・技能」であり、「思考力・判断力・表現力」であり、「学びに向かう力」である。
それって「〇〇」の力使うよね、という教科の見方・考え方を生かせるような教材研究を。
そして、くろ先生のお話後でのフリートークで話されていた「既習事項や、既存知識との『ズレ』」を生み出せるような教材研究を進めていきたいなと。
昨年度、同僚だった先生が「知識のズレ」をテーマに今年度研究授業をやられていて、ここも筑波大附小の先生の本をベースに作られていた記憶が。
「ズレ」を生み出せるだけの教材研究、教材の理解が必要だなと思いました。
学びをこちらが持って進めるにも、委ねて進めるにも、教材研究というベースがあってこそ、初めてできると思うので3学期も頑張っていこうと思います!!
改めて、参加された先生方、登壇してくださった先生方、ありがとうございました!!