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何を見据え、どこへ向かっていくのか。テクノロジーの力を信じて、俯瞰しつつ道なき道を進みます。

whyから始めよ!

学芸会まで残り2週間ほど。今日も動きの練習を頑張っていこうと決意。

 

さて、タイトルにあるように『why』から始めよ、ということで学芸会っそもそも何のためにやるんでしょうか?

 

感動を伝えるため?それって学芸会という形じゃなくてもよくない?

伝統だから?その伝統って残さないと(遺さないと)いけないものなの?

 

ちなみに僕は伝統だから、という言葉が嫌い、とてもね。

 

youtu.be

 

この動画。

目的を考えず、方法だけを語ると(語っているから)どんどん形骸化していく。

特に行事はそれが顕著に思う。

例えば、運動会って何のためにやるの?

どんな力をつけたくて運動会をやるの?

 

研究授業のときには、あんだけこんな力をつけたくて、だからこの教材を選んで、こんなふうにコーディネートすると力がつくと仮定して実践して検証するのに、行事になった途端に目的やつけたい力ベースじゃなくて、『行事』というコンテンツありきになるはずないよね?

 

って、皮肉言っちゃうくらい。イライラしちゃった。

 

で、どうするのか。それを考えここで提案するのが僕の仕事。

 

まずは学校の中での対話が必要だと思う。

なんとなくで進んでいく行事。

コンピテンシーを捉え直す。対話する。

これが圧倒的に足りてない。だからコンテンツベースになるし、気づいたら表面的な見た目にこだわっていく。

見た目だけにこだわった瞬間、細かいところに目が行ってどんどん時間を浪費する。

無駄無駄。

 

無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!

 

DIOかよ。(笑)

全く外見が要らないとは言いませんが、そこにこだわる時間がもったいない。なら授業やったほうがマシやわ。

そのせいで進度遅れたら本末転倒。

 

目的を共通化できたら、それを子どもたちに落とす。

言いっぱなしじゃなくて、何回も確認する。お互い、目的を忘れないために。

そうすれば自ずと良くなるんじゃないかなあと。

 

対話がないと始まらない。

まずはそこから。

 

コンテンツに飲まれないように、自戒を込めて。